私が“着痩せ”を仕事にして生きる理由〜前編〜
以前、地方にはお店自体が少ないっていう
記事を書いたことで
たくさんのコメントいただいてたんですね。
それには返信させてもらったんですが
1つだけ、
本気で答えなきゃいけないな。
これはわたしの人生にかかわるな。
っていうのがあったので
これを機に、
なぜわたしが今
"着痩せ"を仕事にして生きているのか
ここにくるまでに
どんなことがあったのか。
きちんと伝えたいと思います。
きっかけとなったのは…
こちらのコメントです★★★
ありがとうございます!!
さて。
わたしが今、
なぜ一般の女性に対して
ファッションのアドバイスや
試着同行&指導をしているのか…
それにはほんっっっとーに
深い理由があるんです。
それを今一度きちんと説明したい。
わたしが立ち上げたブランドは
女子アスリートのための
ファッションブランド
であることは確かです。
自分自身がアスリート時代に
あまりにも服がないことに疑問を感じ
夢のために体を鍛えて
体の形が変わるほど努力できる
その体で戦って
世の中に夢と希望を与えようとしてる
そんな女性がキレイに見える
服がないってどーいうことや\\\٩(๑`^´๑)۶////
…っていう気持ちが発端。
オリンピックで
金メダルを獲る!
わたしが抱いたこの夢は…
きっと、わたしじゃなくても
強い日本女子選手が達成してくれる。
日本に金メダルをもたらし
夢と希望を与えてくれる選手は
わたしじゃなくていい。
そう思った瞬間に…
それまでどんなに苦しくても
どんなに辛くても
歯を食いしばって戦ってきたけど
闘志がなくなってしまいました。
世間から見たら"挫折"だと思う。
"負け惜しみ"と捉えられても構わない。
ただ、
女子アスリートのための服は
わたしがやらないと
きっとこの世に生まれない。
そう強く思ったんです。
その理由は…
わたしが格闘技に取り組み始めた
7歳の頃から、
20年格闘技を続けても
一向に生まれる気配がなかったから。
その20年間に
同じように服がない選手達がいた。
オシャレをしようとしたら
チャラチャラしてると言われ
女になると弱くなるとか
色気づいてると言われ
いや、わたし女やで???
っていう普通の疑問を飲み込んできた。
わたしが27歳(アラサー!)になっても
大半がジャージで過ごす日々。
選手としての移動はスーツが鉄則。
伸縮性のある服しか着られない。
大きいサイズしか着られない。
ちょっとでも細く見せたくて
ピタサイズを着てるとキツくてすぐ疲れる。
この体型でのオシャレを
教えてくれる人がいないから
提唱してくれる人がいないから
とりあえず着られる
ゆるカジュアル
に、大半がなっていく。。。
ほんとはキレイめとかしたい。
ほんとはシャツブラウス系着こなしたい。
でも入らない。
つり革持ったら脇や背中が破れる…
あかん、語り出したらキリがない。笑
それを"仕方ない"って
もう言いたくなかった。
なんで努力が"代償"になるのか。
なんで男はいい時計にいい車
それが良くて女はダメなのか。
なんで男は筋肉がカッコよくて
女はゴツいになるのか。
なんで将来の夢リストに
男の子はスポーツ選手が入るのに
女の子は入らないのか。
女子アスリートが
強くてゴツいだけじゃなく
強いのに
普段はかわいいしオシャレ♡
そんな存在になったとしたら…
子供たちに自発的に
目指される存在になるんじゃないか!?
スポーツかっこいいな!いいな!ってなって
やってみる人が増えたら
もっともっと
健康な人が増えるんじゃないか!?
もしも女子アスリートの服ができたら…!!
そんな希望がどんどん浮かんできた。
わたしは勝ってスポットライトを浴びて
スポーツで夢を与える人間にはなれなかった。
だけど
どんな困難にも諦めず
立ち向かい、戦う精神を身につけた。
だから、新たにこの道で戦おう!!
ただ流行に左右され
消費されていくような服じゃなく
本当に困ってる人に
確かな解決ができる
流行に左右されず大切にずっと着られる
価値ある服を生み出そう!
きっと今までの常識を壊すことに
反対する人達もいるだろう。
だけど戦おう!
常識を壊そう!
自分が道を創ろう
そう、決めたんです。
…決めた瞬間は
もちろんアパレル未経験(°_°)
服ってどーやってできるか謎(°_°)
そんな状態で。
でも決めたら一途、迷いなし!
その時(2011年)の実績は
オリンピック実施階級で全日本3位、
翌年のロンドンオリンピック
強化指定選手だったから
"選手を辞める"というと
絶対反対されるのが分かってた。
だから誰にも言わずに
練習の合間に服飾専門学校を探して
甘えたくないし
すべてを自分で決断したいから
すべてが一番進んでいそうで
知り合いもいない東京に決め
休みの日に1人で説明会に行って
願書を取り寄せて提出。
東京で住む家も先に決めてきた。
後戻りはしたくなかった。
すべての準備が整ってから…
同じ会社に所属していた
後輩達にだけは直前に引退する意思を伝えて
夏の全日本合宿で
監督はじめ仲間達に自分の進路を告げた。
本当に誰にも言わなかったから
みんなすっごいビックリしてた。
苦楽を共にした仲間達だったから
本当に人生かけて戦ってきたから
感極まってめっちゃ泣けた。
みんなもめっちゃ泣いてくれた。
これから先
歩む道は違うけど
みんなは選手として
世の中に希望を
そしてわたしは
そんなみんなを美しくする存在になる。
だからここで別れるけど
いつか必ずまた繋がるときがくるから
そのときを信じて頑張る
そう言い切って
その瞬間…
柔道9年レスリング11年
計20年に及ぶ格闘技人生の引退が決まった。
仲間だった選手達は
オリンピック選手達も含めみんな、
頑張れ!待ってる!!
そう言ってくれました。
絶対、何があっても頑張ろう!!
決意のもと
明るく送り出してもらったその先に…
起こった様々な出来事は
本当に想像を絶するものだった。
ほんとに。
はるかに想像を絶するものだった。
…長くなりそーなんで
(なんせ人生詰まってますから)
続編に続きます…(´-`).。oO